4年に1度の祭典「サッカーW杯」の歴史

4年に1度の祭典「サッカーW杯」の歴史

◇サッカーW杯、その概要について

現在、オリンピックと並んでもっとも熱い注目を浴びているスポーツイベントといえばサッカーのワールドカップです。正式名称は「FIFAワールドカップ」で、その名の通りFIFA(国際サッカー協会)が主催しており、出場するのは「男子」の「ナショナルチーム」という制限があります。女子のワールドカップや、国ごとではなくクラブチームごとに争う「クラブワールドカップ」も存在しますが、たんに「W杯」といえばこのFIFAワールドカップを指します。開催は4年に一回で、1930年のウルグアイ大会が初回です。先述したように出場できるのは国ごとに1チームが基本ではありますが、厳密には「FIFA協会がある地域ごとに1チーム」であるためたとえばイギリスであれば国内にイングランド、スコットランド、ウェールズなど複数の地域を抱える場合もあります。

◇開始当初は世界的イベントではなかった

W杯の歴史は初回の1930年開催、ウルグアイ大会ではじまります。出場国は13か国で、優勝は地元開催のウルグアイでした。当時はまだ大会の知名度も低く、FIFAからの賞金もなく各クラブチームがスポンサー集めをしての運営という慎ましさで、現在からは想像できません。第3回大会の後、1942年と1946年は第二次世界大戦の影響で中止となり、このままサッカーワールドカップは歴史の中に立ち消えになってしまうのでは?と危惧されていた時期もあります。しかし、1950年のブラジル大会から再び白熱した名勝負が相次いでサッカー自体の人気も急激に高まっていき、W杯もその地位を盤石のものにしていくのです。

◇日本におけるW杯の盛り上がり

世界の盛り上がりからしばらく、日本でのサッカー人気は低いままでした。戦後のエンターテインメントのなかでスポーツと言えば相撲であり、野球であり、力道山などで知られるプロレスだったのです。サッカーはどこか「外国のスポーツ」という印象でなかなか定着しないまま時間が過ぎます。FIFAが日本に協会を設置し普及に努めても、簡単には成果が上がりませんでした。そんなとき、1983年にアニメ化された人気漫画がその流れを大きく変えます。ご存知、「キャプテン翼」の登場です。この漫画によってサッカー人気は高くなり、プレイヤーの数と質は大きく向上しました。この上昇気流を受けついで1993年にプロサッカーリーグのJリーグが開始、ようやくここで「日本のサッカーは世界に通じるのか」という意識が芽生えてW杯に目が向くようになってきます。

◇W杯人気に水を差す汚職等の不祥事の続発

その後、日本国内のみならず世界を巻きこんで回を重ねるごとに人気と資金を集め、オリンピックをしのぐほどの一大イベントに成長していくワールドカップ。しかしこの右肩上がりの歴史には、数々の汚点も残ってしまっています。巨額の資金を集め、さばくようになったFIFAも長い歴史の中で腐敗が進み、汚職が何度も見られるようになってしまうのです。なかでも最大のものは2015年の一連の汚職事件でしょう。ワールドカップの開催権と引き換えに多額の金銭を要求したとして、多くのFIFA幹部が引責辞任をし世界に衝撃を与えました。多くの人の憧れの舞台であり、神聖なスポーツの祭典であるはずのワールドカップは一時期開催を危ぶまれるほどに激震したのです。

◇W杯の今後の展望、未来に向けた課題の解決

一連の不祥事は収束に向かいましたが、W杯は数億人が視聴するイベントとあって国同士、地域同士の政治的対立やパフォーマンスの場にされることもしばしばです。こういった政治色をどのように排除していくか、また高騰する一方の放映権料やスポンサー料の適正な使われ方の監視など、まだまだ今後に課題を多く残しています。アジアやヨーロッパの地域による枠の数、ルールの公正化、ジャッジの育成、広告を出すスポンサーへのガイドライン策定など議論の余地のある問題は山積しており、これから先も人々を魅了するイベントであり続けるためにFIFAと関係者の努力は続いていいます。W杯の歴史は、つねに世界情勢に大きく影響されてきました。昨今の中東情勢、米中露の緊張、北朝鮮と韓国の合同チーム結成の動き、紛争地域の出場選手による政治的アピール、人種差別ジェスチャーなどまさに現代の縮図がワールドカップには存在します。それらから目を逸らさず、ひとつずつに向き合って解決していく姿勢が求められていると言えるでしょう。

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